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フランスの世界遺産 永遠の丘 ヴェズレーはブルゴーニュ地方のモルヴァン自然公園の北に位置し
スペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の出発地であり、
丘の頂上にはサント・マドレーヌ大聖堂とその修道院がそびえる。


ユースホステルに通じる道からヴェズレーの村を望む。

ここがヴェズレーの入り口


細い道がヴェズレーの中央を通り大聖堂へと通じる。


古いフジの木があるレストラン



丘の頂上にはバジリック・サント・マドレーヌの聖堂が見える。

バジリック・サント・マドレーヌは聖マドレーヌ・バジリカ聖堂ということになるが、
教会は9世紀に男子修道院と共に作られ、
1120年に火災を起こしたが12世紀末にはロマネスク様式の教会が完成した。
中世にはマグダラのマリア(フランス語ではマリー・マドレーヌ)の聖地として多くの巡礼者が訪れ、ヴェズレーは栄えたが、
13世紀にマグダラのマリアの遺骸はプロヴァンスのサン・マクシマンの方が本物と教皇に認定されるに及び、
ヴェズレーの巡礼者の聖地としての地位は落ちて衰退した。
さらに16世紀の宗教戦争で建物は荒廃し、18世紀のフランス革命時には修道院も破壊されてヴェズレーは忘れ去られた。
しかし19世紀半ばに作家のメリメ(カルメンの作者)が中世の建築の調査に訪れ、
廃墟と化した教会のロマネスク芸術の素晴らしさを再発見し、若い建築家のヴィオレ=ル=デュックがバジリカ聖堂修復再建した。

聖堂の正面の塔が一つしかないのは2つ建設されたものの1819年にサン・ミッシェル塔に落雷があり、その時に崩落してしまったようだ。
1840年ごろのヴィオレ=ル=デュックの詳細なデッサンがあり、修復前の廃墟化した聖堂の様子がよく分かる。
正面中央のタンパンは最後の審判図だが1840年の修復前のヴィオレ=ル=デュックのデッサンにはないので
後にロマネスク様式を真似て作られたものと思われる。


正面の扉を入ると内側にナルテックス(玄関廊)と呼ばれる部屋があり、ロマネスク様式のタンパンの素晴らしい彫刻が迎えてくれる。

聖霊降臨の図で光背で覆われた救世主キリストの手から授けられる聖霊の光を受ける12人の使徒が描かれている。

ロストロポーヴィッチがバッハの無伴奏チェロ組曲を録音したサント・マドレーヌ大聖堂の内部は明るい光に満ちている。

複刻された柱の装飾

修道僧の礼拝


ヴェズレーの丘からサン・ペールの教会と村を望む。

サント・マドレーヌ大聖堂から再びヴェズレーのメインストリートを下ります。






ヴェズレーの入り口にあるB&B

秋の路地裏

ヴェスレーの丘を振り返る。

サン・ペールのノートルダム教会



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ノワイエール・シュル・スランはスラン川に沿った中世の町で周囲を城壁で囲まれていた。
家並みは石造りと木組みの家が混在しているが、傾きが激しい家も見受けられ、
歴史に耐え、今も機能していることに感銘を受ける。
ノワイエール・シュル・スランは12世紀末には強固な城が築かれ、ノワイエール・ミール朝として栄えたが
15世紀にはブルゴーニュ公国の統治下になり、コンデ家のもとで小麦とワインの取引で栄えた。
城壁から町を眺める。

タウン・ゲート


斜めになって寄り添うような中世の建物



これらの家は元は木組みが表れていたと思うが老朽化で雨漏りなどのために
モルタルで固められてしまったものと思われるが美的価値は損なわれる。


ここでも木組みが斜めになっている。

中世のコスチュームで野菜を売る。

ノワイエールの周囲には小麦畑と牧草地が広がる。

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